横浜の地が、歴史の表舞台に立つのは幕末以降ということになるのだろう。
黒船来航を端緒として締結された日米修好通商条約により、横浜村に貿易港と外国人居留地が建設され港町の歴史が始まるからだ。
というあたりの話を踏まえて、今回は、まず、横浜市中区山手町へと向かう。
この一帯は、幕末から明治にかけて外国人居留地だった場所であるが、現在も西洋風の町並みが人気の観光地となっている。
山手町という地名は、文字通り台地にあるからで、現在、中華街がある山下町は、山手に対しての山下なのだという。
Today's Lineup
元町・中華街駅→
(山手地区:
港の見える丘公園→
横浜市イギリス館→
山手234番館→
エリスマン邸→
ベーリックホール→
山手公園→
外交官の家)→
ブラフ18番館→
(横浜中華街:
関帝廟→
媽祖廟)→
(山下公園:
氷川丸)→
(日本大通り:
横浜税関資料展示室)→
(みなとみらい:
赤レンガ倉庫→
カップヌードルミュージアム)→
みなとみらい駅
みなとみらい線の元町・中華街駅で下車。みなとの見える丘公園に向かう。
(左)元町の商店街入り口だが、今回はそちらには行かない。
台地への階段を上がって行く。
名前の通り横浜港を望む台地にある「港の見える丘公園」は、横浜開港当時にイギリス軍、フランス軍が駐屯していたのだという。
階段を上がったこの辺りはフランス山と呼ばれる場所で、見えてきたのは、フランス領事館の遺構であるらしい。
明治29年にフランス領事館は建てられたが、関東大震災で倒壊、昭和5年に再建されたが、それも消失したのだという。
(左)フランス山の風車(推定復元)。井戸水を組み上げるのに使用していたらしい。
(右)レンガ造りの井戸遺構。
展望台から横浜港・横浜ベイブリッジ方面を望む。
(左)KKRポートヒル横浜らしい。
(右)大佛次郎記念館。鞍馬天狗などで知られる昭和の小説家だとか。
洋式庭園の奥に見えてきたのは、山手111番館なる建物だ。住所が横浜市中区山手町111らしい。
大正15年に、ラフィンというアメリカ人の住宅として設計されたスパニッシュスタイルの洋館であるとか。
つづいて見えてきたのは、横浜市イギリス館(115番)だ。
昭和12年に英国総領事公邸として、上海の大英工部総署の設計により建てられたものだという。
現在、横浜市の文化財に指定されている。
この辺は、開港直後から居留地防衛のため英国軍が駐屯していたイギリスゆかりの土地なのだという。