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メインストリートの旧中山道をずんずん歩く。

旧中山道 旧中山道 旧中山道

蕨市 歴史民族資料館 本館

徐ろに資料館の本館が見えてきた。
入口付近に並ぶ子供の乗り物がなんかそぐわない印象を受けるがとにかく入ってみる。
館内はまず昭和レトロ系な一画があり、奧に「蕨宿の世界」という文字が見える。
(右)昭和30年代の物価だとある。さすがに安い!デフレの今がインフレに見えるような価格設定。

蕨市歴史民族資料館本館 蕨市歴史民族資料館本館

よくある古い看板が並ぶこの奧が「蕨宿の世界」。
(右)いわゆる旅籠の玄関を再現。

蕨市歴史民族資料館本館 蕨市歴史民族資料館本館

(左)商家の店先。
(中)たぶん本陣の絵。
(右)蕨宿本陣の模型。ありがちなものではあるがよくできている。

蕨市歴史民族資料館本館 蕨市歴史民族資料館本館 蕨市歴史民族資料館本館

(左)中山道を挟んで、中央の奧と手前左手の大きい家が本陣で、中央の本陣の左隣が脇本陣らしい。
(右)蕨宿本陣上段の間だとある。

蕨市歴史民族資料館本館 蕨市歴史民族資料館本館

(左)本陣のあった岡田家に伝来する「和宮様御下向御用日記留」と「和宮様御下向御用留」。
元々、本陣とはそういうものであるが、まさにセレブ御用達であった事を示すもの。
(右)徳川家康が地元の三學院に対して発行した寺領20石を寄進する内容の朱印状(レプリカ)。
その三學院には後で訪れる。

蕨市歴史民族資料館本館 蕨市歴史民族資料館本館

蕨宿 本陣跡

蕨市歴史民族資料館本館に隣接して、この蕨本陣跡のオブジェが建っている。
案内板によるとこの本陣の主は、前出の旧地元領主「渋川氏」の家臣「岡田正信の子息正吉」に始まる一族らしい。
その後、この「岡田家」が名主、問屋、本陣の役を世襲していくというあたりは一般的な事であったと思われる。
ここには、明治天皇和宮と言った皇族を始め、公家、大名、僧侶などのセレブ層が逗留している。
(右)上手く撮れなかったが天保年間に宿泊した要人の一覧が示されている。
大名家では、御三家の尾張家、紀州家、御三卿の清水家、一橋家、その他、石高順に、加賀前田家、安芸浅野家、
肥前鍋島家、姫路酒井家etc...20家がラインナップされていて、更に公家・僧侶・姫君と続く。
皇女和宮の名前もありこの時代に訪れている事がわかる。

本陣跡 本陣跡 本陣跡

引き続き旧中山道を進もうと、ちょこっと先を見ると“ワラビーくん"の幟が見える。
“登録銘菓 わらびくん"と書いてある。たぶん商標登録かなんかされてるんだろう。
(右)その船橋屋さんで買ったのみたのがこれ。“ワラビーくん"が焼き印された饅頭だ。

船橋屋 船橋屋 船橋屋

長泉寺(時の鐘)

旧中山道をちょっと戻る感じで、駅前商店街の通りに入り、長泉寺に来た。
ここの梵鐘はいわゆる“時の鐘"で江戸時代の名鐘だと言うのだが、本堂の上にあって見られない。
このお寺、ちょっと変わっていて檀家がないのだそうだ。そのせいか確かに墓地らしきものも見あたらない。
山門はそれらしいのが建っているのだが、境内は駐車場みたいだし本堂も・・・特に何にも見えない建造物。
とりあえず、境内を出て思いっきり道の後ろまで下がると、辛うじてその鐘が姿を見せる。

長泉寺 長泉寺 長泉寺

駅前通りから再びメインストリートの旧中山道へと戻る。
相変わらず人通りは少なく車の方が通る。
(中)板橋宿から2里十町らしい。
(右)浦和宿へは1里十四町らしい。

駅前通 旧中山道 旧中山道

また、ちょこっと旧中山道を外れて今度は市役所通りに入る。
(左)蕨市役所。今回全く用はない。
(右)間もなく次の目的地和楽備神社に到着。

蕨市役所 和楽備神社

和楽備神社(蕨城址公園)

この和楽備神社蕨宿の鎮守である。
明治44年に18の鎮守社を合祀して出来たとあるが、前身の八幡社は「渋川氏」が勧進したのだとされている。
このあたりには「渋川氏」が居を構えた「蕨城」があり、その守護神として祀られていたものらしい。
(左)漢字は違うが“和楽備"と書いて“わらび"と読む。
(右)社殿は平成に再建されたものだとある。確かに新しく見える。

和楽備神社 和楽備神社

(左)台湾製だという狛犬。
(中)昭和11年製の乃木将軍像。
(右)末社の一つ稲荷社本殿。江戸中期のもので、前身であった八幡社本殿にあたるものだとか。

和楽備神社 和楽備神社 和楽備神社

(左)これも末社の天神社本殿。江戸前期のものらしい。
(右)神池。蕨城御殿堀の一部だとある。蕨城唯一の遺構か?

和楽備神社 和楽備神社

隣接しているただの広場?に蕨城址公園の名が付いていて辛うじて城址であることを主張している。
南北朝時代から「渋川氏」が居城としていたが北条氏綱によって攻略破壊されたと言われているらしい。
宝樹院のところで「渋川氏」は里見氏と戦い敗死となっていたので、後北条氏に下っていたものと思われる。
遺構は僅かに残るだけとあるが、普通の人間が見ればただの公園。碑が建っていなければ何にも感じないと思う。
(左)「蕨城址碑」と案内板がある。

蕨城址 蕨城址

この後は、市役所通りをだあ〜っと引き返し、またまた旧中山道へと戻っていく。


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