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今回歩くのは埼玉県の蕨市
Wikipediaなどによると蕨市は日本一小さく人口密度の高い“市"であるという。
それには、昨今の合併ブームに乗らなかったなんて事情もあるらしい。
確かに、付近では大宮とか浦和なんかが合併してさいたま市になっている。
ここは、歴史的には江戸時代に中山道の宿場町として賑わった場所である。
日本橋から2番目の宿場であり、付近に戸田の渡しがあった事が需要の喚起を促していたという。
それというのも、増水して川止めになってしまうと渡し船が出なくなって蕨宿に泊らざる得なかったと言う事情があったらしい。
位置関係で見ると、前は板橋宿で次は浦和宿、もちろん今も中山道として国道17号が通っている。
ただ、現在は電車に乗っていくとむしろ東北本線の川口(西川口)と浦和(南浦和)の間にあると言える。

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蕨駅宝樹院蕨宿入口(板橋側)市立歴史民俗資料館分館市立歴史民俗資料館本館本陣跡長泉寺和楽備神社(蕨城址公園)
三學院蕨宿入口(浦和側)蕨駅


蕨駅の西口に降り立つ。特にどうと言うこともない駅前ロータリーだ。
駅から蕨宿のあった旧中山道までは意外に距離があるようだ。
アバウトな地図を見ながら適当に歩き、最初の目的地は戦国時代の地元領主渋川氏ゆかりの寺院らしい。
(右)中央123商店街?中央と言う住所は7までしかないようだが?どうでもいい話なので先に進む。

蕨駅 蕨駅 蕨駅

宝樹院

ここが蕨城城主であったという渋川氏の菩提寺宝樹院で門前に「渋川公墓」の碑が建っている。
この「渋川公」は上総国三舟山の合戦で里見氏に敗れ戦死したのだと言う。
そして夫人は榛名湖に入水して龍神となり恵の雨を降らすのだ・・・と最後は伝説になってしまうのだが。
そもそも、足利将軍家の支族であるらしいのだが「渋沢氏」としか伝わっていないようで謎の多い人物である。

宝樹院 宝樹院

地蔵や仁王像は真新しく見えるが山門や本堂は古そうに見える。

宝樹院 宝樹院

(右)江戸時代後期、渋川公夫妻の250年忌に渋川家の家来の子孫によって建てられたとある供養費。

宝樹院 宝樹院

宝樹院をあとにして、この後はとりあえず旧中山道を目指す。
要害通りなる通りにぶつかった。まあ、要害の地だったんだろう。でも良くわかんないのでそっちには行かない。
(左)なんとなく撮ってみたマンホール。放水する消防車と隊員の雄姿だ。
(右)蕨市のマスコットキャラ“ワラビーくん"。よくある駄洒落系キャラだ。
でも、蕨の地名に関しては源義経や在原業平伝説に絡む「藁火」説と、植物の「蕨」説というのが有力らしい。

要害通り 要害通り 要害通り

中山道 蕨宿 入口(板橋宿側)

国道17号の中山道と旧中山道の分岐点(合流点か)まで来た。
当然、狭い方が旧中山道で「中山道 蕨宿」のゲートがある。こちらは板橋宿サイドになる。

中山道 中山道 旧中山道

旧中山道を進む。マンホールや側溝の蓋も「蕨宿」であることを標榜している。
しかし、“ワラビーくん"ではないようだ。鳥?

旧中山道 旧中山道

実はここに来たのはテレビでチラッと紹介されていたのをたまたま見たからだ。
タイミング的には、その2日後の土曜なのだが観光客らしき姿は見えない。皆無と言っても過言ではない。

旧中山道 資料館分館

蕨市 歴史民族資料館 分館

道沿いには、ところどころ年季の入った民家の建物を見かける。
その中の一つに「蕨市歴史民族資料館分館」の幟が立っている。
ここは、明治時代に織物の買継商をしていた家だとあり、 母屋、店舗、蔵、中庭などで構成されている。
(左)手前に蔵、奧に店舗の建物が見える。
(右)母屋の建物。

蕨市歴史民族資料館分館 蕨市歴史民族資料館分館

(左)小さいながら回遊式となっている中庭。
(右)母屋の和室。

蕨市歴史民族資料館分館 蕨市歴史民族資料館分館

(左)戸のデザインに趣がある。
(右)機織機らしきものが置かれている。

蕨市歴史民族資料館分館 蕨市歴史民族資料館分館

(左・中)廊下の内と外。
(右)蔵の中の書庫。

蕨市歴史民族資料館分館 蕨市歴史民族資料館分館 蕨市歴史民族資料館分館

(左)明治時代の電話ボックスだとか。
ここ無料施設としてはなかなかじゃないと言う感想を懐きつつ旧中山道に戻る。
次は、資料館の本館の方へと向う。

蕨市歴史民族資料館分館 蕨市歴史民族資料館分館

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