HOME<< 杉戸宿
杉戸宿は、日光街道および奥州街道で日本橋から5番目に位置する宿場町だった。
ガイドブックによると、下町、中町、上町、河原組、横町から構成され、更には南端に清地村、北端に九軒茶屋があり、宿場と連続した町場を形成していたという。 随分と、細かく町割りされている印象だが、当初は、下町、中町、上町のみで、後に拡張されていったものらしい。 また、天保十四年の記録に、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠屋46軒、家数365軒、人数1663人と記載されているという。
現在は、東武動物公園駅が最寄り駅であるが、動物は一切登場しない。
千住宿編 >>   草加宿編 >>   越谷宿編 >>   粕壁宿編 >>
Today's Lineup
東武動物公園駅高札場跡宝性院本陣跡問屋場跡神明神社近津神社神明神社来迎院東福寺→ 東武動物公園駅
東武鉄道の東武動物公園駅の動物園がない側の東口で下車。
開業が明治32年という歴史ある駅だが動物園が出来るまでは杉戸駅だった。
住所は、埼玉県南埼玉郡宮代町百間。 “宮代町”は神社に因む町名と思われるが、どうやら姫宮神社の事らしい。
ただ、隣駅が姫宮駅で、神社はその付近のはずなので、今回は方向も違うため行かない。
ちなみに、駅の西口側にある東武動物公園も宮代町に含まれるようだ。
大落古利根川を渡ると北葛飾郡杉戸町に入る。
<< 愛宕神社 >>
住所は杉戸町杉戸4丁目。杉戸宿では、中町にあたるエリアだ。
愛宕神社は、杉戸宿の鎮守の一つで、火防の神として信仰を集める神社であるという。
今回、最初に見つけた案内板によると、その昔、洪水でイチョウの木に愛宕様の像が流れてきたとか、そんな話だ。
(左)愛宕神社の前には、鰻屋の「あたごや」がある。
神社の境内は、とてもこぢんまりとしている。
なんでも1説には、境内のイチョウは、例の愛宕様が流れ着いた木で、それであれば樹齢300年を超えるという。
(左)←高札場跡120m、東福寺410m→となっている。近い方の高札場跡方向に行ってみる。
(右)旧日光街道に出てきた。左右がその旧街道で、道路を渡ると杉戸町杉戸2丁目になる。
<< 高札場跡 >>
杉戸宿の上町エリアに入った。
特になんの表示もないが、この民家の場所が高札場跡であるらしい。
ここに、掟とかお達しなど掲げられたというだろう。
<< 渡辺金物店跡 >>
渡辺金物店跡の案内板が立つ旧家。
横町の名士 渡辺家の分家なのだという。
旧街道には、このような古めかしい建物が点在して残っているようだ。
これも、それなりに古そうに見える木村米店。
住所は、杉戸町杉戸1丁目。杉戸宿では河原組エリアに入っている。
(左)丸井酒店は、江戸から昭和にかけて酒造を営んでいて、蔵が残っているという。
(右)右が幸手方面、正面は久喜方面となっている。
<< 角穀跡/小島定右衛門邸 >>
住所は、引き続き杉戸町杉戸1丁目。杉戸宿の横組エリアに、いかにもという古民家がある。
防衛上の観点から城下町や宿場の入り口は鍵状に曲げられており、その枡形と言われる場所に建っているのが、小島定右衛門邸(角穀跡)だ。 屋号の「角穀」は角にある米問屋の意味で、大落古利根の水運を利用し米取引を行っていたという。
<< 宝性院 >>
杉戸宿 横町にある真言宗 宝性院は、日光道中の安全を守るお寺で法要など他に、戸籍管理、寺子屋、旅籠といった公共施設としての役割も担っていたという。
(右)日光道中の道標として建てられた馬頭観音。
成田山の不動堂。
永禄3年、お寺の開基、幸手城主の一色義直という人物により不動明王像が祀られたことに始まり、 幕末の安政4年には、成田山新勝寺の不動明王も勧請され祀られるようになったのだという。
扁額の文字は、武田信玄の子孫で高家職の旗本、武田信之によるものとある。
大日如来を祀る本堂。
(左)すぎと七福神の毘沙門天。
(右)鐘楼。
旧街道に戻る。
東京駅食堂の看板がある。ちょうど昼食を考える時間だったので、覗いてみたが休みのようだ。
旧街道は、杉戸宿のエリア抜け、九軒茶屋と呼ばれた場所に入っていると思われる。
この先は、幸手宿方面で、この道は、現在の日光街道(国道4号)と合流する。
特に、ゆかりのものはないようなので、道を引き返す。