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Today's Lineup
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万華鏡ギャラリー寺田 浅間神社流山市立博物館→ 流山駅

流山3丁目まで来たところで、流山キッコーマンの工場が見えてきた。
みりんの歴史で、秋元家と双璧をなすのが「万上みりん」を醸造していたという堀切家だ。
なんでも、江戸後期に二代目の堀切紋次郎という人物が醸造を始めたらしい。
キッコーマンは野田の醤油と共に流山のみりんがルーツとなっており、この工場では「まんじょう本みりん」が製造されているという。

流山キッコーマン 流山キッコーマン

流山キッコーマン 流山キッコーマン

(左)「当工場は見学を実施しておりません...」とある。
(右)庚申塔が祀られている。

流山キッコーマン 流山キッコーマン

近藤勇陣屋跡


流山2丁目まで来た。
奥に見える蔵が近藤勇陣屋跡であるらしい。
手前は、新選組グッズなども販売している秋元酒店で、みりんの秋元家ゆかりの店らしいが詳細はわからない。



京時代の栄光から一転、鳥羽・伏見の戦いに破れ、再起を期した甲陽鎮撫隊でも巻き返しならず、近藤勇率いる新選組が流山に転戦してきたのは慶応4年4月のことであるという。 その際、近藤が本陣を置いたのが、当時、ここで酒造を営む長岡家で、隊士の分宿先となったのが、先ほどの光明院や流山寺であったらしい。
しかし、本陣は新政府軍に包囲され、投降した近藤は、板橋で処刑されている。
近藤の投降により、隊は脱出の刻を得たと言われるが、近藤勇と土方歳三にとっては別れの場所ともなっている。

近藤勇陣屋跡 近藤勇陣屋跡

閻魔堂


“閻魔堂”なのだという。
入ってみると人影のない墓地。お寺なのかと思うのだが、本堂らしき建物が見当たらない。
(右)金子市之丞の墓だとか。
どうやら、没落した商家の息子がグレて盗賊になり、最後は獄門に処せられたようなのだが、 それが物語の世界では、鼠小僧的な義賊に祭り上げられているらしい。

閻魔堂 閻魔堂

閻魔堂が見つからず探したが、この民家としか思えなかった建物がそれらしい。
(左)新選組頓所の札があったり、新選組の提灯や旗も見える。お堂とは絶対思わない。
(右)でも、やっぱり、江戸時代建立だという閻魔像は、ここにあった。

閻魔堂 閻魔堂

旧流山街道らしき道に出てきた。
この日、商店は休みばかり・・・そう言えば、観光客に出会わないのだが、曜日が悪かったせいか?
(左)鎌倉時代の創建だという常与寺。
(右)創業明治35年という老舗和菓子屋の清水屋。
近藤勇陣屋跡にちなんだ「陣屋もなか」なるものもあるらしいのだが、如何せん休み。

常与寺 清水屋

万華鏡ギャラリー寺田


国の登録有形文化財の案内板が立つ、この店は明治22年に建てられた旧寺田園茶舗。
江戸から明治にかけての土蔵建築、見世蔵(店舗兼住居)というもので、昭和まで営業していたという。
現在は、万華鏡作家のギャラリーとして公開されている。

万華鏡ギャラリー寺田 万華鏡ギャラリー寺田

店内では、プロの作品を展示・販売しているが、今日はどこに行っても、人が入っていない。
(右)万華鏡風のプリクラ風写真?を撮るものらしい。

万華鏡ギャラリー寺田 万華鏡ギャラリー寺田

浅間神社


引き続き旧流山街道を歩き流山1丁目に来た。
また、人っ子一人いない、江戸初期創建の浅間神社に入ってみる。
富士山を総本山とする国内に数多ある神社であるが、祀られている木花咲耶姫命もお約束と言える。
この境内の裏手は、新選組を包囲した新政府軍が仮本陣を敷いていた場所だという。

浅間神社 浅間神社

社殿の裏手にある、大きな富士塚は市の有形文化財であるという。
頂上には、明治19年「富士浅間大神」の碑が建つとある。
果たして、この付近で、新政府軍は新選組本陣を睨んでいたであろうか。

浅間神社 浅間神社

(左)大正12年築の古民家で営業しているイタリアンレストラン「丁子屋」。
(右)となりには、対照的な洋風建築のパン屋「蔵日和」がある。

丁字屋

江戸後期の弘化3年に創業されたという老舗呉服店の「新川屋」。
現在の建物は明治23年に建てられたもので、市の登録有形文化財なのだとか。

呉服新川屋 呉服新川屋

さらに街道沿いを歩き、流山市加6丁目なんて住所に変わった。
幕末の安政6年創業だという老舗の「ましや」呉服店。
老舗の定番と言える呉服屋であるが、 こちらも市の登録有形文化財に指定されている。

ましや ましや

旧流山街道を外れ、現在の流山街道(県道5号線)を渡り、最後の目的地「流山市立博物館」に来た。
ここは、各自治体によくある郷土博物館で、古代から近代まで流山の歴史にまつわる展示がされている。
今回は、時間の都合上、ざあっと、見ただけであるが、新選組や流山みりんのコーナーもある。
ここでも、観光客らしき姿は1組もなかった。

流山市立博物館 流山市立博物館

流山街道を流山1丁目まで歩き、流山線の流山駅に来た。
流山線は、大正5年に流山軽便鉄道として、現在と同じ「馬橋〜流山」間で開業したという。
建設運動の中心になった秋元平八は、流山みりんの秋元家ゆかりの人物で、発起人には、本家の秋元三左衛門や万上みりんの堀切紋次郎なども名を連ねていたと言い、 当時もまだ、みりんの町だったことを伺わせる。

流山駅 流山駅

帰りは、この青い車両に乗る。

流山駅 流山駅

(左)ホームの端からは、スタンバイ中の車両が見える。
(右)小金城趾駅で別の車両とすれ違う。

流山駅 小金城趾駅

馬橋駅に到着。
今回は、狭いエリアを駆け足で回った(走ったわけではない)のだが、 観光的には、とても地味な印象で、あまり新選組も存在感がないように思えた。 ただ、いくらなんでも観光客が、ほぼ皆無というのは、日が悪かった可能性もある。
といったところで、今回は終了。

馬橋駅 馬橋駅