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本佐倉城は、千葉県印旛郡酒々井町本佐倉と佐倉市大佐倉にまたがる将門山に室町後期に築かれた連郭式平山城で戦国武将千葉氏の本拠地であるという。 築城主とされる千葉輔胤は、享徳の乱で千葉氏宗家の座を奪い、長尾景春の乱に際しては太田道灌と戦った一族であるというが、 本佐倉城は、その後に完成したと見られている。 応仁の乱ともリンクする、関東の戦乱の推移は複雑怪奇で、千葉氏内の権力争いも、その要因の一つといえるだろう。 千葉輔胤についても正確な立場や本佐倉城の築城年など確定していない事柄があるようだ。 千葉氏はその後、後北条氏の傘下にあったが、豊臣秀吉の小田原征伐において戦国大名としての地位を失い、本佐倉城も役目を終えた。


最寄り駅となるのは、京成電鉄の大佐倉駅だ。
都心から1時間ほどの場所だが、予想以上の田舎で民家はあるが商店などは全く無い。
自販機も駅にしかないので、何か買っておくべきだった。

一帯は、丘陵と田園風景といった感じだ。
駅から近い小山の階段を上がると麻賀多神社がある。

麻賀多神社は、成田市にある本社がある「麻賀多十八社」の一社であるらしい。
地元では、ポピュラーな神社と言うことだろう。
末社には妙見社があり、祭神の妙見菩薩は、千葉氏が軍神として崇めたものだという。

京成線の線路をくぐり、曹洞宗寺院の勝胤寺に来た。
室町後期、本佐倉城城主の千葉勝胤により創建され、釈迦如来を祀る寺院であるという。

(左)勝胤寺境内の手水に「将門山根古屋城主千葉介二十一代勝胤公愛賞の水」とある。
(右)勝胤寺から徒歩3分の場所にある真言宗の宝珠院。

宝珠院は、南北朝時代に中興された大日如来を祀る寺院で、本佐倉城主千葉家の祈願寺であったという。
江戸時代には、佐倉藩堀田家所縁の寺院として、佐倉五山の筆頭であったというが、現在、往時の興隆は想像できない。

田んぼの先に見える丘陵が国の史跡に指定されているという本佐倉城の遺構だ。
道端に「本佐倉城跡 東光寺ビョウ」と書かれた道標が建っている。
“ビョウ”という馴染みのない用語が出てきたが、なんでも馬場の跡地という説があるらしい。

少し離れてみると人工的な土手に見えるが、近づくと原っぱと樹木の茂る小山にしか見えない。
土塁や堀などは、素人でもわからないでもないが、遺構として理解するにはマニアックな知識が必要と思われる。

要所要所に、一応、案内板が設置されている。
ここは「東山虎口と南奥虎口」とあり、城の玄関口にあたる場所だ。

南奥虎口。
当時は、木戸が設けられ、その先に要撃スペースがあったものと思われる。

「東光寺ビョウ、東山虎口、南奥虎口」の発掘のデータなどが記されている。

千葉氏の家紋が並び、なんとなく山城っぽい演出がされている。

丘陵の上からの眺望は、長閑な田園風景だ。

(右)「郭虎口」の案内板。

(左)「郭虎口」跡。道に沿って堀があり、また道の先に門があったようだ。
(右)大堀切跡。

「郭虎口」から「城山」と「奥の山」を分ける「大堀切」に入ると本丸方面に行けるようだ。
坂を上がったところには、木戸が設けられていたらしい。

「城山虎口」「城山通路」の表示。
本丸の入り口付近で、最終防衛戦であろうか。

「城山門跡」。
本丸突入直前といったところか。

発掘の結果、城山(郭)には、城主の居館や庭園、櫓などの形跡が認められるという。
現在は、ただの原っぱで、眼科には田園風景が望める。

城山(郭)と、大堀切で分けられた奥ノ山(郭)に来た。
やはり、原っぱであるが、「妙見宮跡」の碑が建っている。
本佐倉城主は、ここで元服したとあり、信仰の場であったらしい。

(左)樹木のあたりに「妙見宮跡」の碑が建っている。
(右)付近には、「奥ノ山」から移ってきたという妙見神社がある。
妙見神は、千葉氏の守護神で、千葉氏の城跡に妙見神社は定番であるという。

妙見神社の階段を降りると、酒々井町教育委員会設置の案内図や説明書きがある。

本佐倉城跡の案内板。
標高30m、総面積35万㎡、三方を水田に囲まれ、内郭群と外郭群で構成された要害の地であるという。

(左)正面の小山は、外郭の一つ「向根古屋」で、手前の田んぼあたりは「中池」と呼ばれる池があり、城内の水源になっていたらしい。 しかし、今日は、そちらには行かない。
風景的には、相変わらず、田園風景か山道で、当然、 商店も自販機もないため、ここまで水の1滴も飲んでいない。

先程の案内板と照らし合わせると、このあたりの山道は、外郭の一つ「荒上」に当たると思われる。

(左)いかにもそれらしく見えるが、堀の遺構かどうかはわからない。
(右)八幡宮の鳥居がある。参道の先は、結構、長そうだ。

風情のある参道を抜けると、山寺という趣の社殿が見えてくる。
案内板の類は見当たらなかったが、八幡神は、源氏を始め武家の守護神としては定番と言えるだろう。

最後に訪れたのは、やはり、千葉氏により創建されたという将門口ノ宮神社。
なんでも、平将門を祀る将門神社と佐倉惣五郎を祀る口之宮神社が合祀されているらしい。
鳥居は、佐倉藩主堀田正信により寄進されたものとあり、江戸時代においても信仰が廃れることはなかったようだ。
祭神の平将門については、創建が本佐倉城主 千葉氏なので、千葉氏が平氏の流れであることが理由かもしれない。
ちなみに、佐倉惣五郎は、江戸時代、佐倉藩堀田氏の圧政を直訴したという義民伝説で知られる人物だ。
また、「将門山」の由来については不明らしい。将門の出生地、あるいは城があったなどの説があるようだが、いづれも伝説の域を出ないようだ。


大佐倉駅に戻ってきた。
今回は、とてもすべてを回ると言うわけには行かなかったが、これ以上は、さらに代わり映えのしない写真が並んだだけかもしれない。 なかなか、写真では、ただの土手や樹木が写っているようにしか見えないが、肉眼であれば、もう少し、それらしい雰囲気が感じられるはずだ。