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(左)北小金駅の南口を出たところ。
(右)「右 水戸道中、左 ながれ山」の道標と、「八坂神社御跡地」の碑。

北小金駅南口 道標

旧水戸街道


いよいよ小金宿へと言ったところなのだが・・・これが、いたって普通の道路。
水戸街道の千住宿から3つ目の宿場町だと言うのだが、
まあ、この道がそうだったんだ・・・その程度が正直な感想か。



東漸寺


南側のメインスポットと言えるのは、旧水戸街道沿いにある東漸寺だ。
室町時代創建の浄土宗寺院で、 江戸初期には、関東十八檀林と言う僧侶養成機関にもなるなど、小金宿の中心的な施設であったらしい。
この東漸寺も、再三登場している高城氏とゆかりの深い寺で、一族から七世となる了学上人を輩出しているのだという。
境内に入ると、参道の直線が伸びている。
本土寺以来、やっと観光に堪えるスポットに来たらしく、紅葉狙いの素人カメラマン(推定)の姿も復活。
(右)参道の中ほどにある仁王門。

東漸寺 東漸寺

鐘楼とその前の紅葉。

東漸寺 東漸寺

境内では紅葉を狙うカメラマンの姿が。

東漸寺 東漸寺

(左)本堂と、 (右)観音堂。

東漸寺 東漸寺

小金宿の名残りが窺える建造物が辛うじて残っていた。
この鈴木家は、江戸後期の旅籠「玉屋」の原型を留めているんだと案内板に書いてある。

玉屋 玉屋

「虚無僧寺 一月寺跡」なんて表示がある。現在の一月寺は、別に特徴もない小さな日蓮宗寺院だが、
昔の普化宗と言うのが変わっていて、虚無僧が尺八吹きながら托鉢して諸国を巡る特殊な集団だったらしい。




この後のルートとしては、選択肢が3つある(もっとあるだろうが・・・)。
1.水戸街道(6号線)まで出て、松戸方面に歩く。
2.水戸街道から、逆方向の「根木内城跡」(高城氏の旧城)なんてのを見に行く。
3.引き返して、松戸方面の電車に乗る。
当初、(1)もしくは、(2)を予定していたが、
予想以上に早く、脆弱な足腰が疲労を訴えているため、
(3)電車に乗るを選択。



馬橋駅


なんとなく気が向いて、中間の馬橋駅で降りてみた。
江戸時代の馬橋は「小金宿」〜「松戸宿」の水戸街道に存在した、
「間の宿」であったと言う。
「間の宿」とは、宿場間に出来た、旅人が休憩に立ち寄るような町場で、
オフィシャルな宿場制度からは、外れた存在のため旅籠はないのだそうだ。
要は、泊まらないけど、一休みしていくような町だったって事だろう。
とりあえず、すぐ近くに万満寺と言うのがあるみたなので、そこに行ってみる。



王子神社


まず、万満寺のとなりにある王子神社に来た。
この神社は、明治の神仏分離以前は、万満寺の境内に鎮守として存在したものと思われる。

王子神社 王子神社 王子神社

境内には、江戸時代の道祖神・庚申塔など石仏が並んでいる。
まあ、何の変哲も普通の神社か。

王子神社 王子神社

万満寺


万満寺のルーツは鎌倉時代で、下総守護千葉頼胤による創建当初は、真言宗大日寺であったと言う。
今の臨済宗万満寺になったのは、室町時代、千葉満胤の代になってからのことだとある。
また、再三登場の小金城主高城胤吉も伽藍を復興したり寺領を寄進したりしてるらしい。
例によって、江戸時代に、繁栄を極めたが、明治の廃仏毀釈なんかで衰退したみたいな事が書いてある。
現在は、仁王像の股をくぐるヘンテコな行事で知られるお寺らしい。
(左)あんまり、古そうには見えない総門(たぶん)と、その奧の参道(右)。

万満寺 万満寺

(左)仁王門。中の仁王像は鎌倉時代のもので、運慶作だと言うが、光の加減で足しか見えなかった。
(右)義真弁財天。通称「小僧弁天」だとかで、女形でないのが珍しいんだとか。御利益は学業成就らしい。

万満寺 万満寺

(左)水掛不動尊。水かけて祈るらしい。
(右)昭和62年製の本堂。

万満寺 万満寺

万満寺


万満寺を出たところ。
他に、馬橋では、どこに行ってよいのか分からず、この後は駅に戻り、
再度松戸方面の電車に乗る。



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