HOME<< 越ヶ谷宿(天嶽寺・久伊豆神社)
越ヶ谷宿は、日光街道および奥州街道で日本橋から3番目に位置する宿場町だった。
電車のある現在では、日本橋から50分程度と、まだまだ近場という感じであるが、当時の旅人にしても1泊目は、次の粕壁宿、あるいは、その先の杉戸宿に止まるとこが多かったようだ。 越ヶ谷宿は、越ヶ谷町の本町、中町、新町と、大沢町の上宿、中宿、新宿で構成され、Wikipediaによると、天保の資料に本陣1軒、脇本陣4軒、旅籠52軒、家数は1,005軒、人口は4,603人とあるらしい。 当初、本陣など宿場の中心は越ヶ谷町にあったが、時がたつに連れ、宿場機能は大沢町に移り、越ヶ谷町は商人街になっていったという。
今回は、旧家などの遺構がありそうなのが越ヶ谷町であり、さらには、道を間違えせいで大沢町側は訪れていない。
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東武鉄道の越谷駅下車し、まずは、旧日光街道に入る予定だったが、プリントした地図が大雑把すぎて道を間違える。
市役所が見えているということは、旧街道は行き過ぎていたらしい。
旧街道と間違えて入った、ただの道を歩くと前方に橋が見えてきた。
このあたりは葛西用水(逆川)や、元荒川が流れている。
さらに道を間違え、文字通り、この土手を右往左往する。
少しも複雑な道ではなかったが地図が悪すぎた・・・と人のせいにしつつ、とりあえず、見えてきた久伊豆神社・天嶽寺に向かってみる。
<< 浄土宗 越ヶ谷天嶽寺 >>
天嶽寺は、二代将軍秀忠、三代将軍家光が鷹狩に際して立ち寄ったという格式高い寺院だ。
境内は、小田原北条氏の城砦跡地とも言われ、その北条氏や、さらには徳川家康による庇護を受けていたという。
不動堂と、その中にいた狛犬。
特徴的な山門と、本堂、鐘楼、社務所などの建物。
<< 久伊豆神社 >>
久伊豆神社は、平安末期創建とされる大国主命を祀る神社で、当地を領した武家から信仰を集めていたという。
徳川将軍家からの信仰も厚く、越谷の総鎮守として重きをなした神社であるらしい。
久伊豆神社は、元荒川流域に多い神社で、越谷には7社あるらしい。また加須市の玉敷神社が総本社であるという。
長い参道の途中には、公園や植物園があり、本来の境内の大きさがわかる。
久伊豆神社は境内の藤が名物で、毎年「藤まつり」で賑わう神社であるらしい。
その藤は、天保8年に樹齢50年の木を移植したものと伝わり、樹齢は推定200年なのだとか。
石灯籠と祖霊社。
寺社によくあるタイプの池。
手水と神楽殿。
社殿と狛犬。
三ノ宮卯之助銘の力石。
三ノ宮卯之助は江戸後期の三野宮村(現在の越谷市大字三野宮)出身で、力石や米俵などを持ち上げる興行で各地を回り、日本一の力持ちと言われた人物なのだとか。
絵馬のデザインは「天岩戸の図」。
江戸時代の国学者、平田篤胤が奉納した「天岩戸の図」の額が神社の宝物として伝わっているらしい。
元荒川に架かる宮前橋。対岸の杜が久伊豆神社だ。
現在の住所は、越谷市御殿町となっている。
このあたりには、家康の時代に建てられた越ヶ谷御殿があり、 家康や秀忠が鷹狩で、また、家綱が日光社参に際して利用したというが、明暦の大火で江戸城が焼失した事により解体され建材として使用されたという。