≪Today's lineup≫
川越駅→中院→仙波東照宮→
喜多院→川越歴史博物館→
川越城本丸御殿→蔵造りの町並み→菓子屋横丁→本川越駅
道標に沿って、喜多院ゾーンから川越城ゾーンへと移動してきた。
ここには、別名を初雁城や霧隠城ともいう川越城の遺構があるのだという。
現在の建物は江戸時代のものだが、ルーツをたどると太田道灌の築城に始まり、
領主は、扇谷上杉氏→後北条氏→徳川家(初代は酒井氏)へと変遷している。
江戸時代には川越藩主(17万石らしい)として幕府重臣が多く配されている要所であった。
歴代城主の中には、松平信綱や柳沢吉保の名も見える。
本丸御殿としては、玄関・大広間・家老詰所が残ってるらしい・・・と言うのも正直、ここも良く覚えてないからだ。
なぜか、あまり写真も撮らなかったようだ。本丸御殿正面すら写してない。
"川越城本丸御殿"と彫られている石だけ撮ってどうする・・・
http://www.city.kawagoe.saitama.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1111720186503&SiteID=0
本丸御殿に隣接している三芳野神社。
川越城の敷地内にあり、時の城主であった酒井忠勝による再建されたらしい。
わらべ唄「とおりゃんせ」発祥の地だとある。
市立博物館と妙に横から写してる市立美術館。
ここも、あまり印象に残ってない。
川越の象徴的な光景、街並みゾーンへと来た。
この一帯は、重要伝統的建造物群保存地区と、何やら物々しい字面の指定を受けている。
テレビなどで流れる映像にも、まず時の鐘が写ってるはず。
建物は趣があって良いのだが、残念なのは、メインストリートの交通量の多さだ。
写真を写す際にも、車や人を避けるのが困難と言うより無理だった。
川越のシンボル的な建造物だ。
江戸時代に当時の藩主酒井忠勝によって建てられ、
その後、焼失と再建を繰り返し現在のものは明治26年に
再建されたものであるという。
写真では見えないが櫓の上部に銅鐘がある。
ちなみに高さは16mくらいらしい。
鐘がなるのは、午前6時・正午・午後3時・午後6時。
(左)時の鐘の奥にある社。
明治時代の土蔵造りの家屋を見学できる施設だ。
建物内の意匠や構造を見学出来る。
http://www.kawagoe.com/kzs/
(左)見たまんま鬼瓦。
(右)二階から街を垣間見たところ。
文字通り駄菓子屋が並んでいる(十数軒らしい)ルーツは明治時代まで遡るようだ。
ここも結構ニュースなどの映像に出てくるポイントだ。
懐かしかったので、駄菓子買ってしまった。
明治26年に川越大火が起こり、現在の蔵造りの多くは、これを契機に建てられたもの"だという。
これまで、蔵=江戸時代のイメージがあったが、明治の街並みだったらしい。
真ん中の「大沢家」が川越で唯一国の重要文化財らしい。
埼玉りそな銀行の建物は大正7年ものらしい。当たり前だが、建物は傾いてない。
とにかく、この通りは車も人も交通量が多い。