粕壁宿は、日光街道及び奥州街道の江戸 日本橋から4番目の宿場だった。
江戸後期には、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠45軒、問屋場1ヶ所、家773軒があり、上町、仲町、新宿、下宿などから構成されていたという。
往時は、古利根川の水運と、江戸から1泊目になりやすい立地により栄えた街であったらしい。
現在の東武線春日部駅の東口一帯にあたるエリアであるが、当時の景観は特に残っていないようだ。
日光街道 1番目 千住宿 >>
日光街道 2番目 草加宿 >>
≪Today's lineup≫
春日部駅→
東陽寺→
東八幡神社→
碇神社→
最勝院→
成就院→
粕壁神明社→
春日部駅
春日部駅の東口を出ると、ただ広い道路が伸びている。
(左)街角に何やらウサギが立っている。
(右)春日部市春日部という地名はなく、町名は粕壁であるらしい。
(左)公園に自転車のおっさん。こういうオブジェが好きな街らしい。
(右)なんとなく写してみたお屋敷の門。
現在の春日部は、押絵羽子板の産地として知られている。
商工会議所では、特産品の展示販売が地味に行われている。
(左)やはり羽子板の街なのだろう。
(右)B級グルメ“春日部やきそば”のゆるキャラ「とろ★りん」だとか。
やはり、羽子板関連の商品が多い。
(左)町には当然、羽子板メーカーもある。
(右)郷土資料館らしいが、月曜のため休館だった。
旧日光街道(県道2号線)へと出てきた。
このような旧道には、道幅が狭い一方通行の商店街というイメージがあるが、ここは普通に2車線の車道となっている。
全くレトロな景観もなく、歩道も広いため、なおさら、ただの道路という印象だ。
(右)東陽寺の山門。
旧街道は一宮交差点で、国道4号(日光街道)と合流する。
この辺りが、粕壁宿で江戸側の端っこだったらしい。
(左)牛頭天王を祀る八坂神社。粕壁宿の市神であったという。
東陽寺の山門横に「傳芭蕉宿泊の寺」という碑がある。
一般的に江戸から最初の宿泊地だったという粕壁宿あるが、
奥の細道の旅において、芭蕉も1泊目は、この宿場に泊まったのだという。
境内には、芭蕉関連の碑らしきものが建っている。
東陽寺をあとにして、一宮交差点の国道4号線に出てきた。
(左)歴史的な由来を標榜する街ではよくあるシャッター絵。
(右)東八幡神社参道とある方に行ってみる。