HOME鎌倉Part2



今回は鎌倉口東口から出かけるエリア。
過去二回と比べると、フィールドとしては、かなりコンパクトだ。
まずは、いきなり京浜急行バスの「鎌23」ルートに乗る。
前回までに、訪れた鶴岡八幡宮鎌倉宮などをパスして行く感じになる。
写真は、金沢街道沿いの「浄妙寺」バス停付近。
ということで、必然的に、オープニングスポットは、
鎌倉五山の第五位にランクされる名刹浄妙寺だ。



Today's Lineup
鎌倉駅浄妙寺報国寺旧華頂宮邸杉本寺釈迦堂口切通し鎌倉駅
本覚寺妙本寺常栄寺八雲神社安養院安国論寺妙法寺鎌倉駅


浄妙寺(鎌倉五山第五位)


鎌倉五山、最後に残っていた、この浄妙寺に来た。
他の鎌倉五山のラインナップについては、建長寺円覚寺寿福寺はパート1で、浄智寺にはパート2で訪れた。
由来的には、寺号が変わったり、宗旨替えもあったりしたようだが、臨済宗の禅寺に落ち着いたようだ。
浄妙寺の創建は、鎌倉時代初期に足利義兼の手によるものだとある。
この足利義兼は、鑁阿寺など足利編での主役といった感じの人物だ。


山門をくぐって真っ直ぐ本堂へ。境内は国の史跡になっている。
着く早々、生憎の雨で画が暗い。

浄妙寺 浄妙寺

江戸時代再建らしい本堂。

浄妙寺 浄妙寺

浄妙寺


(左)本堂裏手にある足利貞氏の墓とされる宝篋印塔。
足利尊氏の父親で「浄妙寺」の再興者だと言われる人物。
寺号の由来という説もあるらしい。



天正年間にあった「喜泉庵」の平成版リメークだという茶室。その前には枯山水の庭園がある。

浄妙寺 浄妙寺

浄妙寺 浄妙寺


「石窯ガーデンテラス」とは?
パン屋だった。



浄妙寺


とある階段の上にある「鎌足稲荷」。
なんでも藤原鎌足が“鎌"を埋めたんだとかで、 “鎌倉"という地名の由来との伝承があるらしい。




金沢街道沿いの滑川に架かる華の橋にある道標。
ここにある報国寺旧華頂邸杉本寺
これから赴くスポットだ。



報国寺(竹の庭)


この報国寺も、先の浄妙寺と同じく臨済宗の禅寺だ。
創建は、浄妙寺に中興として宝篋印塔が建っていた足利貞氏の父、足利家時と伝わる。
これが足利尊氏の祖父に当たる人物で、 伝説では“三代後の子孫に天下を取らせよ" と祈願し自害したのだといい、
後に足利尊氏の天下取りに繋がったことになっている。
創建者については、他に上杉重兼という人物であるという説もあるようなのだが、 足利家時の法名が「報国寺殿」らしいので、
やはり、そちらが妥当な気がする。
歴史的には、関東管領と鎌倉公方が争った永享の乱に際して報国寺の名前が出てくる。
敗れた鎌倉公方足利持氏の子義久がこの寺で自刃しているんだとか。
ここでの見所と言うことになると「竹の庭」(拝観料200円)が有名みたいだ。


見えてきたのは、小山と言った風情の敷地、とりあえず山門をくぐり境内へ。

報国寺 報国寺

見ての通り本堂(左)と、見ての通り鐘楼(右)。

報国寺 報国寺

(左)鐘。としか言いようがない。
(中)この石塔は、新田義貞による鎌倉攻めに際して、由比ガ浜の戦死者を埋葬した塚らしい。
(右)たぶん、本堂の横。

報国寺 報国寺 報国寺

これが、名物の「竹の庭」。けっして広くはないが、外界から遮断された風情がある。

報国寺 報国寺

報国寺 報国寺

(左)竹林をぬけると、こんな光景が、山肌に空いてる横穴は、鎌倉特有の“やぐら"ってやつだ。
例の、足利家時足利義久の墓であると言う。
(右)たぶん本堂の裏庭。

報国寺 報国寺

旧華頂宮邸


報国寺から、確か100数10m歩くと旧華頂宮邸なんて洋館がある。
華頂宮というのは、幕末から大正にかけて存在した宮家らしいのだが、建っているのは昭和4年製の洋館。
その旧主、華頂博信侯爵は、臣籍降下し華族に列せられた人物で、貴族院議員も努めた帝国海軍の軍人だとか。


国の有形文化財だという洋館。年に数回、邸中も公開されるらしい。

旧華頂宮邸 旧華頂宮邸

バルコニーと、そこからの眺め。庭はフランス式なんだとか。

旧華頂宮邸 旧華頂宮邸 旧華頂宮邸

とりあえず、また金沢街道まで来た道を戻る。
(右)は、鎌倉浄明寺郵便局とある。“妙"ではなく“明"、地名だと微妙に漢字が違うみたいだ。



杉本寺


鎌倉駅方面にやや戻る感じで歩くと間もなく、この「十一面杉本観音」の幟が見えてくる。
この杉本寺の創建は、奈良時代、光明皇后行基によるものと伝わり、鎌倉でも最古とされる天台宗の寺だ。
珍しい訓読みの寺号の由来は、火事に際して観音像が自ら脱出し“杉の木"の下に避難した伝説があるんだとか。
その後、源頼朝により再興され、更に源実朝の代に、坂東三十三観音霊場が制定され、一番目札所とされた。


いかにも鎌倉らしい風情の、この入場ゲートは、享保年間の仁王門。

杉本寺 杉本寺

山門の仁王像は運慶作だと伝わるものらしいのだが、近頃は、運慶作の真偽が揺らいできてるようなので怪しいか?
(右)は、「大蔵弁財天」と書いてあるからそうなんだろう。

杉本寺 杉本寺 杉本寺

ここでの、お約束の画は、苔むした階段を見上げるこのショット。
この景観を保護するためであろう、通行用の階段は別にある。

杉本寺 杉本寺

(左)江戸時代再建の「観音堂」。
(右)それなりに、古そうに見える「鐘楼」。

杉本寺 杉本寺

このあたりから見えるのは、山間部の家並み。

杉本寺


また、金沢街道に戻り犬懸橋を渡り、滑川沿いに少し歩くと、
犬懸上杉家、「上杉朝宗及氏憲邸址」の碑。
上杉氏憲は、前関東管領として鎌倉公方に喧嘩を売った、
いわゆる上杉禅秀の乱で知られる人物。
結局、負けたけど・・・。
この先は、次の目的地「釈迦堂口切通し」の道標に従って歩く。



釈迦堂口切通し


鎌倉七口と言われる切り通しが有名だが、この釈迦堂口切り通しはそのラインナップには含まれない。
鎌倉の入り口を固めるものではなく、鎌倉の中にある切り通しだ。
名前の由来はについては、このあたりのどっかに、三代執権の北条泰時が、先代北条義時の菩提寺として建立した釈迦堂があったんだとか。
だんだん、山道に入っていく感じではあるのだが、案外、程なく現地に到着。
“落石注意"などと言う物騒な表示もあるが、そこから見えるトンネルは迫力満点。

釈迦堂口切通し 釈迦堂口切通し 釈迦堂口切通し

たいして人里離れた山中というわけではないのだが、こつ然と、こんなトンネルが現る。

釈迦堂口切通し 釈迦堂口切通し

来た道をまた引き返し、滑川と金沢通り沿いに戻ってきた。
鎌倉によくある「鎌倉風致地区」なんて表示が立っているが、景観保護的なものなんだろう。
(右)「岐れ路」の交差点。そのまんまのネーミングだが、左斜め前の路は、「お宮通り」。
前回のパート2で訪れた、荏柄天神社鎌倉宮なんかがある。源頼朝の墓も近い。
しかし、そのあたりは、今回はパスして、一旦バスで「鎌倉駅」まで戻ることにする。



<< Part2へ   このページのTOP   鎌倉編Part3のTOP   日帰り歴史スポットTOP   次へ >>