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石畳通り


鑁阿寺


「足利学校」と「鑁阿寺」を繋ぐ「石畳の道」とある通りにでた。
文字通り、石畳なのだが・・・
山門からまっすぐ伸びる鑁阿寺の参道か。
ちょっと、古風な街並みで、土産物屋や飲食店が並んでいるが、意外と閑散としていて観光地特有の賑やかさは感じられない。



老舗のお土産処らしい「大門茶屋」のとなりに「足利尊氏像」が建っている。
とりあえず、観光客が、みんな写真を撮っている。

足利尊氏像

「茂右衛門蔵」江戸時代の織物蔵だったらしい。中も見学できる。

茂右衛門蔵 茂右衛門蔵

「あまからや」という甘味処。石絵なんてのが置いてある。



「松村記念館」。“大正時代の建築物で文化人などの資料が展示"となっているが休館日だった。



この辺りは、ちょっと、古めかしく趣のあるエリアだが、いかんせんフィールドが狭い。



足利学校


足利学校

足利学校が、いつ頃、出来たのかについては、奈良時代説・平安時代説・鎌倉時代説などあって定かでないようだ。
また、誰が作ったかについても、「小野篁説」や「足利義兼説」などがあり確定していない。
そもそも「小野篁」はありえるのか?伝説の類では?とちょっと思わないでもない。
足利学校が、記録上、明らかになるのは、関東管領「上杉憲美」により再興されて後のことであるらしい。
長い歴史を誇る足利学校であるが、その本領は室町から江戸初期だったと思われる。
足利学校での主要課目は儒学であったようだが、易学や兵学を学ぶ者もいたという。
特に戦国時代には、こうして呪術の類や兵法を修めたものたちが、戦国武将の元に仕官するケースがあったようだ。
このように、軍師養成所的な機能を有していたと考えられており、当時としてもユニークな機関であったと思われる。
それについて、フランシスコ・ザビエルによる「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」のコメントが有名らしい。
往時には、俗に「学徒三千」と言われるまでに興隆したとされるが、その後、江戸末期には、ただの藩校となり、更に明治に入ると廃校となってしまう。
現在の足利学校は、昭和57年に着手された「史跡足利学校跡保存整備事業」により、平成2年、江戸中期の姿に復元されたものであるという。


足利学校へと到着。入り口には儒教のカリスマ「孔子」が佇む。
(右)「入徳門」江戸時代に建てられ、明治に移転修復したんだとか。

足利学校 足利学校

受付で入場料の400円を払うと「足利学校入学証」なんてものをくれる。
(左)受付の建物で放映されている足利学校の歴史ビデオ。
(右)ここにも孔子像。

足利学校 足利学校

「学校門」をくぐり中へと入っいく。

足利学校 足利学校

「孔子廟」の前に立つ「杏壇門」。創建は江戸時代だが明治に再建されたもの。
「杏壇門」の名前は、孔子が弟子を教育したところに杏を植えた故事に由来するらしい。
「杏壇門」の先には「孔子廟(聖廟)」がある。明の古廟を模したものと言われ、現在日本最古の孔子廟なんだとか。

足利学校 足利学校

(左)平成に復元されたという「裏門」通用口だったらしい。
(右)平成に復元された「衆寮」学生寮で寄宿舎的なものだとか。

足利学校 足利学校

(左)平成に復元された「土蔵」書籍以外のものが入っていたと推測されるらしい。
(右)「南庭園」これも平成になって復元されたもの。

足利学校 足利学校

方丈・庫裡・書院は、廊下等で繋がっていて中を見学出来る。
やはり、平成に復元されたもので、講義・行事・儀式・台所などの生活空間・接客に使われたらしい。

足利学校 足利学校

その中に入ったところ。
(左) 「学校」と書かれた扁額。
(右) 足利学校の中興の祖と言われる「上杉憲実」の像。

足利学校 足利学校

方丈か書院か?そのあたりの廊下から「北庭園」を見たところ。
奥に見えるのは孔子廟。

足利学校 足利学校

(左)足利学校の模型。
(右)徳川歴代将軍の位牌がある。

足利学校 足利学校

(左)南庭園と杏壇門が見える。
(右)たぶん、方丈か書院の和室。

足利学校 足利学校

孔子廟と杏壇門の方に近づいてきた。

足利学校 足利学校

(左)「木小屋」とある建物が見える。
(右)元足利学校代官、茂木家累代の墓とある。

足利学校 足利学校

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